「Art is the ultimate luxury - 芸術は究極の贅沢」

ドーム[Daum]。それは伝説的なガラス工芸のブランド。1世紀以上にわたって、その時代の偉大なアーティストたちと常に情熱的なコラボレーションを続けてきました。可憐な色調のクリスタルは、数々の芸術作品に、新たな生命を与えてきました。

ナンシー派のアール・ヌーヴォーからアール・デコ、ルイ・マジョレルからダリ、ジョルジュ・ブラック、アルマンに至るまで、ドーム[Daum]は魔法のような多くのアーティストたちと出逢ってきました。芸術的なクリエーションと現代の卓逸した技術、このアートと技術とのマリアージュは現在にも至っています。これだけ多くのアーティストたちとコラボレーションしてきたフランスのブランドが他にあるでしょうか? ドーム[Daum]がこの140年間にコラボレーションしたアーティストたちは350人以上に及び、比類のないコレクションを生み出してきました。このクリスタルの作品を何と表現できるでしょう? それはクリスタル・アートのオートクチュールとも言えます。

布地のような微妙な色合いの不思議な素材は、ドーム[Daum]だけのパート・ド・クリスタル。古代エジプトで用いられていたこの製作技術を1968年にドーム[Daum]が再発見し、クリスタルで再現しました。何世代にも受け継がれてきたこの技術は、今日フランス最高技術のガラス職人によってドーム[Daum]のクリスタルに生まれ変わります。40色以上のカラーパレットが織り成す不思議で華やかなドーム[Daum]の世界をご堪能下さい。

兄/オーギュスト・ドーム(Auguste Daum)

弟/アントナン・ドーム(Antonin Daum)


パート・ド・クリスタルが出来上がるまでには23工程あり、17人のアーティストと専門職人によって、23もの工程を経て作りだされる「パート・ド・クリスタル」技法。クリスタルを石膏型から取り出す際に、1回ずつ型を壊すため、同じものは二つとありません。 深い色合いのグラデーションは見るほどに味わいを増し、まさにドームならではの芸術性を感じさせます。
以下がおおまかな制作工程です。


パート・ド・クリスタル技法

1.

デッサンから彫刻制作

デッサンを元に彫刻家が石膏で原型を作ります。質感、ディテール、芳情などを出来る限り完璧に表現します。
2.

エラストメールの鋳型

制作した石膏の原型の彫刻から、エラストメール(ゴム)の鋳型を取ります。

3.

ワックスでの彫刻制作

忠実に原型の彫刻が再現されたエラストメールの鋳型に、熱したワックス(蝋)を流し込みます。ワックスが固まった後、鋳型からこれを取り出すと、石膏の原型に対して、今度は ワックスの彫刻が出来上がります。
4.

丁寧に仕上げる

このワックスの彫刻を石膏の原型と同じになるように丁寧に仕上げ、耐火石膏の中に沈め、乾燥室に入れて高温で乾かします。ワックスが80 度を超えると溶け出し、予め開けておいた耐火石膏の鋳型の穴から外に流れ出ます。(ロスト・ ワックス技法)

5.

クリスタルの粒

石膏の鋳型の中に大きさや色が様々なグロワジール(クリスタルの色粒)を詰め、窯に入れ、温度をゆっくりと上げていきます(1000 度以上)。グロワジールはペースト状になり鋳型の隅々まで満ちます。その後、温度を徐々に下げます。この溶解、徐冷の工程は10 日間以上を要します。
6.

石膏の鋳型を外す

温度が下がった後、石膏の鋳型を壊すと、パート・ド・クリスタルの彫刻が現れます。その中にある作品が割れないように注意して石膏を外します。これは「モールド・ブレーキング」と呼ばれています。

7.

洗浄、研磨

品質、色彩、形などの検査の後、洗浄と研磨など更に10 の作業工程が続きます。
8.

サイン入れ

最後のドームサインの手彫りは最後まで全て手作りした証明です。

新作品1 点1 点を制作する度にこの工程を繰り返し、ひとつひとつが微妙に異なる仕上がりになります。
それがドームの独特な特徴の1 つで、希少とされる理由です。


ドーム[Daum]家の歴史

1878年
ドーム[Daum]の創業者、ジャン・ドーム(Jean Daum)は、かつてフランスのナンシーで公証人であった時のつながりで「ラ・サント・カトリーヌ・ガラス工場」の経営をすることになり、後に「ラ・ヴェルリ・ド・ナンシー」としてガラス工場の操業を開始。
1879年
長男オーギュスト・ドーム(Auguste Daum)が父ジャン・ドーム(Jean Daum)を助けるために会社経営に参画。
1883年
社名を「ドーム・エ・フィス」(ドーム親子)Daum et Filsと定める。
1885年
ドーム[Daum]の創業者、ジャン・ドーム(Jean Daum)が没。長男オーギュスト・ドーム(Auguste Daum)が経営者となる。 (1886年エミール・ガレが木工家具工房を開設。)
1887年
オーギュスト・ドーム(Auguste Daum)の弟アントナン・ドーム(Antonin Daum)が入社。 (1889年の第4回パリ万国博覧会で、エミール・ガレがガラス部門でグランプリ、陶器部門で金メダル、家具部門で銀メダルを獲得。)
1891年
エミール・ガレの成功に刺激され、美術工房(アトリエ・ダール)Atelier d'artを設ける。 最初の商品カタログを発行。高級グラス・セットの製造を始める。
1893年
シカゴ万国博覧会に参加し、カメオ・ガラスで特別無審査出品賞を受賞。 社名を「ドーム・フレール et Cie」(ドーム兄弟)Daum frère et Cieに改める。
1894年
ナンシー装飾美術展に出品。リヨン博覧会で金メダル受賞。 フランクフルト、ストラスブール、パリ(パラディー通り32番地)に委託販売所を設ける。
1895年
ボルドー博覧会で佳作に選出。
1897年
ブリュッセル万国博覧会に出品。 オーギュスト・ドーム(Auguste Daum)が、レジョン・ドヌール・シュヴァリエ勲章受章。
1900年
第5回パリ万国博覧会、ガラス部門でグランプリを受賞しアール・ヌーヴォーを代表する工房となった。 アントナン・ドーム(Antonin Daum)が、レジョン・ドヌール・シュヴァリエ勲章受章。
1901年
ナンシー派(芸術産業地方同盟)が結成され、エミール・ガレが会長に就任し、アントナン・ドーム(Antonin Daum)は副会長に就任。
1903年
「ナンシー派展」(パリ・マルサン館)に出品。 ドーム[Daum]ならではの技法パート・ド・ヴェールの量産を目指す。
1904年
セント・ルイス万国博覧会に出品。 (1904年エミール・ガレ死去。)
1906年
この頃から展示会にパート・ド・ヴェールを出品。
1909年
長男のオーギュスト・ドーム(Auguste Daum)が没。次男のアントナン・ドーム(Antonin Daum)が社長に就任し、社名を「ドーム&Cie」Daum et Cieに改める。 「フランス東部国際展」(ナンシー派)展に出品。ワルターのパード・ド・ヴェールによるステンドグラスを展示。
1911年
三男のポール・ドーム(Paul Daum)がナンシーの物理化学学院を卒業し入社。
1914年
第一次世界大戦の勃発で、多くの従業員が動員され、操業を中断。
1915年
操業再開。 カサブランカ(モロッコ)の展覧会に出品。
1916年
ドーム[Daum]の創業者、ジャン・ドーム(Jean Daum)戦没。
1922年
マルセイユ植民地博覧会参加。
1925年
アール・デコ博覧会に出品。 アントナン・ドーム(Antonin Daum)が、レジョン・ドヌール・コマンドゥール勲章受章。 コワマールに第2工場「ラ・ベル・エトワール工場」を開設。 会社を有限会社化。従業員数は500名となる。
1930年
アントナン・ドーム(Antonin Daum) が没。ポール・ドーム(Paul Daum)が社長に就任。 アントナン・ドーム(Antonin Daum)の長男ミッシェル・ドーム(Michel Daum)が取締役に選ばれる。
1934年
不況のため「ラ・ベル・エトワール工場」を閉鎖。
1935年
大西洋横断豪華客船「ノルマンディー号」に透明クリスタル製グラスを納める。
1937年
パリ国際博覧会出品。ポール・ドーム(Paul Daum)が陶器ガラス部門の審査員となる。
1938年
ポール・ドーム(Paul Daum)、アンリ・ドーム(Henri Daum)、ミッシェル・ドーム(Michel Daum)の三頭体制から ポール・ドーム(Paul Daum)ひとりの経営に移行。 9月に戦争動員のため、しばらくガラス窯の火を止める。
1939年
8月末の戦争総動員でポール・ドーム(Paul Daum)もミッシェル・ドーム(Michel Daum)もナンシーを離れる。 後にポール・ドーム(Paul Daum)のみ動員を解かれ操業を再開。
1943年
ポール・ドーム(Paul Daum)、レジスタンス活動の容疑で逮捕。
1944年
2月、ポール・ドーム(Paul Daum)、ニエーズ・ブレム収容所で没。 アンリ・ドーム(Henri Daum)とミッシェル・ドーム(Michel Daum)が経営を引き継ぐ。
1945年
9月、工場を再開。 オーギュスト・ドーム(Auguste Daum)の孫ジャック・ドーム(Jacques Daum)が商科を卒業し入社、パリの販売所の責任者となる。 アントナン・ドーム(Antonin Daum)の孫アントワーヌ・フロワッサール(Antoine Froissart)が入社し、新しい窯の建設を監督。
1947年
12月の洪水に襲われ甚大な損害を被る。
1948年
ミッシェル・ドーム(Michel Daum)のアートディレクションでホット・フリー・ワークによる純度の高い透明クリスタル作品をつくる。 「芸術工房」(アトリエ・ダール)を「スタディー・オフィス」に一新。 透明クリスタルの作品は以後20年間ドーム[Daum]の看板となる。 ナンシー市内エレ通り22番地に路面店をオープン。
1950年
ミッシェル・ドーム(Michel Daum)、レジョン・ドヌール勲章受章。
1951年
マルサン館のガラス芸術展に出品。
1960年
アンリ・ドーム(Henri Daum)引退。ミッシェル・ドーム(Michel Daum)がひとりで経営を監督。
1962年
4月、有限会社から株式会社に組織替え。
1965年
4月、ミッシェル・ドーム(Michel Daum)引退。 ジャック・ドーム(Jacques Daum)が社長に就任。
1966年
熱間形成による透明クリスタル作品を発表。
1968年
パート・ド・ヴェール技法を復活させる。製造部長アントワーヌ・フロワッサール(Antoine Froissart)が中心にパート・ド・ヴェール技法開発にあたる。 アート・エディション部門設立。 サルヴァドール・ダリとの共同制作始まる。(悪の華、ライプニッツの十字架など) 外部アーティストとのコラボレーションも始める。
1970年
1970年代にCFC社(カンパニー・フランセーズ・デュ・クリスタル)の小会社となる。セザール「エクスパンション」共同制作を始める。 パート・ド・ヴェールと透明クリスタルの統合を試みる。パート・ド・ヴェールと透明クリスタルの統合を試みる。
1972年
現代応用美術国立センター展出品。
1975年
透明クリスタルにパート・ド・ヴェールの色ガラスを象嵌した「コッペリア」シリーズ制作開始。
1976年
ジャック・ドーム(Jacques Daum)が没。 ピエール・ド・シェリゼ・ドーム(Pierre de Cherisey-Daum)が社長に就任。 ドーム(Daum)家、最後の社長となる。 ドーム(Daum)工房は、現在では、高級クリスタルメーカーとして、今日に至るまで、フランス、ロレーヌ地方、ナンシーの地で操業を続けている。


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